あったか交流事業

 

 

 812-0025
 福岡市博多区店屋町4-1
 福岡市国際会館

 公財)福岡よかトピア国際交流財団内

 TEL: 092-262-1799

 時間: 8:45-18:00

福岡市国際会館へのMAP

外国人学生が語る「ふるさとの街と福岡」


(公財)福岡よかトピア国際交流財団 福岡市国際会館4F

毎月第3木曜日18時30分~
福岡で学ぶ外国人学生にふるさと街の歴史や生活、家族のこと、来福の経緯や今後の夢などを話してもらい、市民の外国人学生への理解と支援の輪を広げることを目的としています。

次回以降の講座の受講者を募集しています。

これまでの講座内容

2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014

2015 2016 2017

第44回 2009年12月17日
語り手 ノナ・アボルハサニさん
(イラン テヘラン出身)

ノナ アボルサハニさんは、イランのテヘランご出身で、現在九州大学の医学部に在籍しています。ノナさんのご家族は3人姉妹の5人家族で、現在お姉さんはカナダに、妹さんはイランに住んでおり、3姉妹が世界に散らばって暮らしています。
ノナさんが日本へ来ることになったきっかけは留学でした。イランで修士課程を終えた後いろいろ仕事を探してみたもののいい仕事が見つからず、博士の学位の必要性を感じたため博士課程への進学を決めました。しかしながら、イランでは女性で博士課程に進学することが難しかったため外国で博士号を取得することを考え、医学部専攻ということからアメリカ・ドイツ・日本を留学先に絞りました。最終的には文部科学省の奨学金が決定したので、日本に留学することになりました。
ノナさんのふるさとであるイランは、その昔「ペルシャ」と呼ばれていました。「ペルシャ」という名前は、1935年以前の西側諸国でのイランの正式名称でした。1935年3月21日に当時の皇帝であったレザー・シャーが、公式な書簡には「イラン」を使うよう諸外国に要請し、それ以来「イラン」という名前が定着しました。しかしながら国内では混乱が生じたため、結局「イラン・ペルシャ」どちらの名称を使用しても構わないこととなり、現在では「イラン」は政治的、「ペルシャ」は歴史的・文化的な場合に使用されているとのことです。
国民のほとんどがイスラム教徒というイランでは、様々な戒律があります。イスラム教の女性は肌を露出することは許されないため、女性がスポーツをすることが難しく、その結果できるスポーツも制限されています。以前バンコクで行われた大会でボートレースに参加した女子選手が、協議中に足首が見えてしまったっことでイラン代表チームから追放されたことがありました。イラン国内では外国人であっても外出の際女性は必ずコートとスカーフを着用しなければならず、それを守らないと逮捕されることもあるようです。そういう意味では、男性と比べると女性への制約が多くなっています。
イランで最も人気のあるスポーツはサッカーですが、国技は意外にも?レスリング・フリースタイルです。レスリングは過去のオリンピックでたくさん金メダルを獲得しており、今でもとても盛んです。また、スキーも人気のあるスポーツの一つで、1938年に2人のドイツ人鉄道エンジニアによって始められ、現在では13のスキー場があり、そのすべてがテヘランから1~3時間の距離にあります。中でも人気の高いトチャールは1976年に開設され、最高点は4000mにも達する高地に位置しています。
ノウルーズはイラン暦の元旦で、通常3月21日がこれに当たります。お正月を迎えるに当たり、日本と同じように大掃除をし、新しい洋服やお花を買うなどして新年に備えます。年末最後の水曜日には自宅で火を焚いて伝統的な歌を歌いながらその火の上を飛び越え、健康を祈願するチャハールシャンベ・スーリーという儀式をしたり、スィーズデ・ベデルと呼ばれる新年の13日目に集落の郊外にある山野に出かけて行われる終日の祝宴など、ノウルーズ前後の年末年始にはイスラム教以前の習慣に由来するとみられる春の訪れを祝う儀礼が行われるそうです。
ノナさんの今後の進路については海外で研究を続けることを希望しているそうですが、まだどこの国でとは決めていないそうです。近々日本を離れてしまうことになるかもしれませんが、福岡での生活を忘れず、またいつか福岡に帰ってきてもらいたいと思います。

第43回 2009年11月19日
語り手 ムクタロフ・シャムハルさん
(アゼルバイジャン共和国 バクー出身)

旧ソビエト連邦からの独立国家、アゼルバイジャン・バクーに生まれたムクタロフ・シャムハルさん。現在は九州大学経済学部経営学科に留学中です。故郷バクーの素敵なヨーロッパ風建造物やティーハウスでの大勢のお友達との団欒風景など、たくさんの写真を元にプレゼンテーションしてくれました。
まずは、故郷の歴史や経済のお話から。アゼルバイジャンは1830年代から約100年間は世界有数の石油産出国でした。ヒトラーの誕生日にソ連の地図をかたどったケーキを贈り「どこが欲しいか?」と尋ねたら、ヒトラーは無言でバクーの場所にチョコレートを垂らし、ここが欲しいと示した…というエピソードがあり、それほど重要視されていた街だそうです。ただ、ムクタロフさんは個人的には”国の資源は少ない方が良い”とのご意見。なぜならば国民が資源の豊かさに甘えて怠けがちになる恐れがあるからだとか。この言葉には、会場の観客からどよめきが起きました。
彼にとって意外だった日本の現状として、街が非常にクリーンであること、分煙化が進んでいること、バスのアナウンスや店での接客が丁寧であることなどを挙げられました。また日本とアゼルバイジャンでは特に女性のファッションセンスが大きく違うそうです。アゼルバイジャンの女性はとてもおしゃれでエレガント。ご自身は男性ですが、ブランドに詳しく洗練された身なりでいらっしゃることからもわかります。
ムクタロフさんの将来としては、日本に残って仕事をしたい気持ちが40%、アゼルバイジャンに帰りたい気持ちが60%。帰国される場合はご自分で起業してコンサルティングやファイナンスの会社を経営するのが夢だそうです。日本でも母国でも益々ご活躍されることをお祈りいたします。

第42回 2009年10月15日
語り手 唐璐璐(タン ルル)さん
(中華人民共和国 唐山市出身)

 福岡市役所国際部の国際交流員として活躍中の唐さん。プレゼンのテーマは「思えば遠くから来たもんだ」。故郷唐山市から福岡までの長い道のりを語ってくれました。唐山市といえば唐山地震。唐さんが生まれる前のことですが、やはり親族も亡くされ、幼き日には仮設住宅の記憶もあるそうです。
小学校時代から成績優秀で副大隊長という大役を務め、大人しかった性格を積極的に変える努力をされたとか。当時中国で流行っていて、唐さんも影響を受けたものは日本のドラマやアニメ。赤い疑惑・おしん・みつばちマーヤ・一休さんなど日本でも大流行したものばかりですね。中学・高校時代は恋愛厳禁で勉強一筋。そして名門北京語言文化大学に入学し、日本文学を専攻されました。好きな作家は村上春樹や横光利一。横光利一などは日本の若者でもあまり読まないのではないでしょうか。とても渋い趣味です。
卒業後は学んだ日本語をいかして松下電器の合弁会社へ就職。社員には関西なまりの方が多く通訳には随分骨が折れたそうです。その後IT関連会社や日本大使館へ勤めた後に現在の福岡市役所へ。生き生きとした瞳が魅力的な唐さんのファンは多く、中国語を学ぶ日本人のために中国語の講演をされる予定もあると聞いています。今後も少しでも長くこの福岡で日中の架け橋として活躍して欲しいと心から願っています。

第41回 2009年9月17日 
語り手 ダニエル・ホワイトさん
(アメリカ オクラホマシティ出身)

現在、ダニエルさんは九州英数学館国際言語学院で学ばれています。故郷オクラホマシティの講演はクイズあり、ビデオ上映ありと盛り沢山な内容で、とても楽しいプレゼンテーションでした。ビデオはオクラホマ州の起源ともいえる土地開放に関するもの。聴講者も思わず引き込まれていました。また多数の写真を披露してくれましたが、市街地の道路の真ん中にある油田、オクラホマ名物でもある竜巻の甚大な被害状況、深刻な環境問題を引き起こす炭鉱跡地、有名なオクラホマ連邦政府ビル爆破事件に関するものなど、思わず聴講者も息を飲むような迫力のあるものばかり。あっという間に時間は過ぎていきました。 

ダニエルさんのご家族の写真もありました。子供時代の可愛らしいダニエルさんは雪だるまと一緒に写っています。皆さん存知でしょうか?日本の雪だるまは頭と胴体と2段ですが、アメリカの雪だるまは必ず3段だそうです。
将来は本来の専門である経営管理・マーケティングに携わる仕事につかれるご予定だとか。スリムで長身、とても優しい口調で流暢な日本語をあやつるダニエルさんは当会のおしゃべりサロンでも人気者でした。2010年には本国アメリカへ帰国されると聞き、寂しい気持ちでいっぱいです。これからも福岡のことを第二の故郷として思い出して下さいね。

第40回 2009年8月20日 
語り手 陳怡静さん
(台湾 台中県清水鎮出身)

陳怡静さんは来日3年7ヶ月目。福岡大学大学院経済研究科の修士課程に在籍中です。笑顔が素敵な陳さんは、故郷である台中県清水鎮の素晴らしさや、福岡の学生交流会館での楽しい毎日について語って下さいました。
プレゼン資料には風光明媚な台中の風景写真だけでなく、台中発祥であるタピオカティーや胡椒餅、名物かき氷などグルメ・観光情報が満載。美しい高美湿地や賑やかな台湾夜市の説明を聞いていると、なんともいえない魅力的な台湾パワーが伝わってきて、すぐにでも台湾へ飛んでいきたくなってしまいます。
台湾の大学卒業後は台湾新幹線事業に携わり日本語の通訳として活躍。その後、留学生として来福、現在は勉強にアルバイトに忙しい毎日を送られています。学生交流会館の留学生仲間や、家族に囲まれた笑顔いっぱいの写真も多数公開してくれました。
お父様のことが大好きで、とても影響を受けたという陳さん。「父がいてくれたからこそ、今の私がいます。思春期に父にいつも反抗していたことを今では後悔しています。」と彼女の瞳から大きな涙がポロリ…。聴講者からは拍手が湧き起こり、思わずもらい泣きする人も。
「留学生活を含めて、今までの私の人生は本当にたくさんの人々に支えてもらって心から感謝しています」という彼女ですが、そういう陳さんの明るい笑顔こそ、日本や台湾の多くの友達や家族を支えているに違いありません。卒業後は台湾へ帰国されるそうですが、日本で学んだことを役立てて故郷の発展のために力を尽くされることでしょう。

第39回 2009年7月16日
語り手 サマート・ティレバェヴさん
(キルギス共和国 ビシュケク出身)

サマートさんはキルギスの警察署、最高経済裁判所、腐敗監視機関等に勤めた後、2年前にJICAのCPSA修士課程の学生として九州大学法学府で司法腐敗の研究を始めました。検察官になりたいという幼い頃からの夢へ着実に向かってく一方、初めての海外経験である日本・福岡に強い関心を抱いています。特に初めて食べた寿司・刺身には人一倍感動したそうです。
今回のプレゼンではキルギスの観光ビデオを元に、様々な視点からキルギスの特性、文化、社会情勢等について発表されました。「キルギスは山々に囲まれ、氷山や湖も数多く、今でも手付かずの自然が保たれています。例えば、標高約7000mのポベダ山や直径178kmにも及ぶイシククール湖等からは透き通る自然水が堪能できますし、また遊牧民のシンボルである馬を用いたスポーツが大自然の中で行われています。しかし今回私が特に紹介したいのは、表面に映る美しいキルギスだけではなく、その内面に隠される厳しい社会事情です。」と語ってくれたサマートさん。話は更に続きます。
「キルギスでは『花嫁の誘拐』という地域の習慣があります。これは文字通り、男性が好きな女性を妻に迎えるため夜中に誘拐を図る一種の犯罪行為です。キルギスでは遊牧民社会が発展する一方、貧富の差が激しく、それを克服するためにも「中流階級の花嫁」を手にする事が一つの経済安定への手段となっています。実際に私の妹も過去に2度も誘拐されたことがあり、人生での最大の危機となりました。」とサマートさんはありのままの事実を語って下さいました。そして、後に妹さんが自分の愛する人と結婚式を挙げることができた喜ばしい日のことを写真で紹介してくれました。
それらの内容は聴講者の関心をしっかりと掴み、「これからの将来に向かっての目標は?」という質問には「日本人の礼儀正しさや熱心さをキルギス人達に伝えて、今私が関わっているアガペハウス(ホームレスを支援するキリスト教団体)の活動を母国に持ち帰り、ホームレスの人達のために支援施設を立ち上げたいです。」と答えてくれました。もともとはイスラム教だったサマートさんも、この活動を通じクリスチャンに転向し、また英語を喋る友達も増えたせいか、日本語がなかなか上達出来ないと頭を抱えています。すでにキリギス語、ロシア語、英語のと三ヶ国語を流暢に操る彼は「漢字を含む言語に慣れるのにはもう少し時間がかかりそうです。」と正直にコメント。
プレゼンにはサマートさんのお母様も出席され、息子さんが家族と母国の紹介をする姿を最後まで誇らしそうに見守っていらっしゃいました。今年9月に修士の学位を得るサマートさんは、帰国前に日本の色々な場所を旅し、たくさんの思い出を作りたいそうです。2つの大きな夢に向かってこれからも頑張って下さい。

第38回 2009年6月18日
語り手 李相雨さん
(韓国 ソウル出身)

李相雨さんは韓国ソウル生まれ。留学生として最初に来日したのは1996年、その後中国留学などを経て、現在は九州大学の芸術工学府・音文化講座に在籍中です。元々のご専門は言語学。とても流暢な日本語で講義して下さいました。
まずはドラマ「チャングムの誓い」の内容と絡めながら、韓国に伝わる家族制度について。李さんは全州鳳安君派という由緒ある貴族の家系に生まれ、その伝統や規律は21世紀の現代でも厳しく守られているそうです。一族の同世代の人は必ず名前に同じ文字を用い、その文字とは古代の王朝より継承され何世代後までも既に固く決められているため、成宗王中始祖より数えて16代目の李さんの名前には「雨」の字が入っています。また成宗王や祖先の法事では、現在でも、李さんのお父様や一族の方々は「チャングムの誓い」さながらの韓国伝統衣装を身にまとって参列されるそうです。
日本とはあまりに違う習慣に会場はおおいに盛り上がりました。ラストには「韓国でキリスト教徒が増えているのは何故ですか?」「美容整形が盛んだというのは本当ですか?」など講義内容とは関係のない質問も飛び出しましたが、李さんはすべての質問に丁寧に答えてくれました。
昨年の日韓首脳会談の通訳も体験された李さん。将来は、宗教家・事業家などたくさんの夢をお持ちだそうです。どんなご職業につかれても日韓の懸け橋としてますますご活躍されることでしょう。

第37回 2009年5月21日
語り手 カーリー ラッドフォードさん
(英国 ダービー市出身)

彼女の話は、まず家族の紹介から始まりました。
お母さんは、地元で有名な強くて怖い人。警察ともケンカをするし、パブの壁も壊してしまう強者とのこと。
確かに彼女もいい体格だし....と思いきや、娘の彼女は非常にシャイ。
はにかみながら「ふるさと」の説明をしてくれました。
彼女の「ふるさと」は自然に囲まれた町。学校には隣の農場の牛が入ってくることもあったそうです。
写真の様子も、緑豊かなのどかな町。とてもすてきな「ふるさと」のようです。 日本に興味を持ったのは「ドラゴンボール」からだったとか。 日本の漫画・アニメの威力はさすがです。
アニメの音楽を通じて、日本の音楽が好きになり、歌詞を理解したい思いがつのって、リーズ大学の日本語学科に入学。昨年、1年間の滞在予定で念願の日本にやってきました。
福岡大学では、日本人と外国人が共同生活をする寮で、毎日の生活をとてもエンジョイしているそうです。
夢は日本の高校で英語を教えること。
日本の大学も気に入った様子で、「今年8月にはイギリスの大学に帰るけど、もっと日本語をしっかり勉強し、今度は正式に福岡大学に入学して、教育関係の勉強をしたい」と力を込めて語る彼女。
是非、また福岡へ戻ってきて、夢をかなえてください。

第36回 2009年4月16日
語り手 ヌル ディアナさん
(マレーシア パハン出身)

ヌルさんは昨年マレーシアから福岡へやってきた大学生。九州大学工学部の機械航空工学科で学んでいます。
当日は、パワーポイントを使って、マレーシアの風景や結婚式の様子、伝統的なゲーム、食べ物などをわかりやすく説明してくれました。
日本に留学した理由は、「小さい頃から日本のアニメやドラマが大好きだったから」とのこと。
参加者から「好きなドラマは?」「福岡で好きな場所は?」との質問に、「好きなドラマは「花より男子」。
好きな場所は天神よ。ショッピングができるから。でも、福岡のデパートは早く閉まるからちょっと不満。マレーシアのデパートは23時頃まで開いてるわ」とヌルさん。 いまどきの女の子の素顔がちらりとのぞきます。 小さい頃から大空を飛ぶ飛行機を眺めながら、空に憧れ続けた彼女は、心配するお母さんの反対を押し切って、マレーシアから福岡へやってきました。
「今、マレーシアには女性の整備士はあまりいないけど、頑張って勉強して整備士になります。まずはドイツの航空会社に就職し、実力をつけてからマレーシアに帰りたい」。
大きな目をきらきらと輝かせて将来の夢を熱く語る彼女の夢が、必ず実現しますようにと祈らずにはいられませんでした。

第35回 2009年3月19日
語り手 ゴンザレス・マクシミリアンさん
(米国,サン ディアゴ出身)

ゴンザレスさんは、アメリカのサン ディエゴ州立大学に在籍する大学生。専攻は言語学。短期留学生として昨年来福し、協定校である西南学院大学の留学生別科で学んでいます。「色々な国の人がこの科に集まっているのが気に入りました」日本のことを初めて知ったのは小学校の授業。その時に日本という国に興味を持ったそうです。のちにハマナカミヨコという日本語の先生の指導を受けたことも相当な刺激になったとか。
福岡でお気に入りの場所は大濠公園。時々自転車で出かけるとのこと。こういう公園は故郷のサン ディエゴにはないのだそうです。
好きな食べ物は「たこ焼き、焼きそば、うどん、そば、ラーメン」など。特に大好物は「お好み焼き」。鉄板で焼いた料理や麺類が口に合うのでしょう。それから、この人は大のテレビゲーム好き。中学校の頃から“はまって”いるそうです。ゲームの話題になると、とたんに熱っぽく皆に語りかけます。話の中で「ファイナルファンタジー」「ゼルダの伝説」などゲームの名前や「コナミ」など各国のゲーム会社名が次から次へと出てきます。本人は否定していますが、ゲームの“おたく”とはこの人のことを指すのでしょう。テレビゲームをする中で「世界を旅行する」という発想も生まれたそうです。ところで、今後のプランについてはどう考えているのでしょうか。本人曰く、「JETプログラム(The Japan Exchange and Teaching Programme)に申込んで日本で働くか、テレビゲーム制作会社に入ってゲームの脚本を書くでしょう」彼が好きな「日本」と「ゲーム」。果たしてどちらの道を選ぶのでしょうか。

第34回 2009年2月19日
語り手 張 凱翔さん
(中国,香港出身)

「列の国」
張さんは故郷の香港を指して、こう表現します。香港の人々はどこかに行列があると、その後ろに並びたがるのだそうです。
1歳のときに中国北部から移住したこの香港では、中国への返還とその影響をはじめ、色々劇的な体験をしたとか。
その後は留学や仕事でアメリカと香港を行ったり来たりの生活をしていたそうです。
日本に来るきっかけは、アメリカでの日本人との出会い。サンディエゴにある居酒屋で働いていた時の店長でした。 「日本の中でも気候のよい場所に住みたい」そんな思いで北部九州をあちこち探し回り、選んだのが福岡でした。
福岡に来て、住居探し。地下鉄の一日乗車券を買い、「唐人町」の駅名を見て下車。ここで中国人に助けてもらえると思ったようです。「『唐人町』は『中華街』の意味なのです」でも、実際は違いました。不動産屋で筆談を交えて何とか意思を伝え、アパートを確保。
「そこの大家さんがとても親切な人でした。最初、部屋の中には何もなかったけれど、大家さんが冷蔵庫、テレビ、毛布、コタツなどをくれました」中華街ではなくとも、地元の人の優しさを感じたのではないでしょうか。 それからは日本語を本格的に勉強し、日本語検定試験1級に合格。西南学院大学3学年に編入しました。
大学では英語学を専攻し、現在は就職活動中です。彼の希望は在留資格を取り、日本で就職すること。そして母国にいる母親を日本に呼んで一緒に住むことだそうです。
日本に腰を落ち着けて、頑張る張さんの夢がかなうといいですね。

第33回 2009年1月15日
語り手 ハリ バハドゥル パハリさん
(ネパ-ル,ポカラ出身)

ハリさんは、九州産業大学工学部で電気情報工学を学んでいます。
故郷はネパールのポカラ。風光明媚な観光地で「外国人観光客がたくさん来ます」
彼によると、福岡はそのポカラになんとなく似ているそうです。福岡に対して親近感をお持ちなのは、故郷のイメージと重なるからでしょう。
来福して苦労したことは言葉、特に方言の理解だったそうです。 
例えば、物を片付ける際に使う「なおす」という表現。アルバイト先で食器洗いをしていて、この言葉で指示を受けた際、えらくとまどったとか。  「大学に入る前は日本語学校で日本語を勉強しました。でも、そこでは標準語しか習わなかったから、博多弁はわかりませんでした」 むずかしい方言の理解に役立ったのが“博多にわか”でした。ある日、区役所に行こうとして道に迷い、通りがかりの男性にたまたま場所を尋ねたら、その人が“博多にわか”の愛好会会員でした。その出会いが縁で“博多にわか”の勉強をするようになり、博多弁もにわかに上達したそうです。
当日はお面をつけ、(「新雪」と「親切」を掛けた)自作のネタも披露してくれました。 今春には卒業し、日本の電機メーカーへ就職する予定です。将来は帰国して、母国の発展に尽くしたいとのこと。
福岡の地で培った知識・技術はもちろんとして、“博多にわか”で磨いたユーモア精神が、彼の今後の活躍に大いに役立ってほしいと思います。

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